刺青の語源は肌に墨を「刺し」入れると「青」みがかった黒になるという意味があり、谷崎潤一郎師の著書の題名で「刺青(しせい)」が使われたのが最初だそうですので言葉としては比較的新しいものになります。日本における刺青の呼称は、彫り物、文身、我慢、紋々、などがあります。
刺青事典其の1
-刺青-
起源
日本伝統刺青の起源は通常江戸後期(300~400年前)からとされています。(私個人の意見としましては、刺青が入った紀元前のミイラは発見される等、刺青とは人間の根源的な欲求から来るものだと解釈しています。ですので、和彫りが一般的に認知され記録として残る以前に既に一部で刺青文化があり、さらにそれ以前に雛形となるものが存在したのではないかと思います。)
イレズミには「刺青」と「入れ墨」の2種類があり、後者は江戸時代に軽犯罪者に対し行われた刑罰で、腕や額に施されました。
当時の人々は、身体装飾を目的に入れるイレズミを「彫り物」と呼び、刑罰で課せられる入れ墨とは別称で言い分けていました。
江戸時代では「彫り物」に対する偏見は皆無であり、むしろ大作を背負っている者はそれを仕上げるまで色々なことを我慢し通い続けた精神力を尊敬されました、現在とは真逆の評価です。
和彫りが大衆化した要因は諸説あります。最も一般的なものですと中国三大奇書の一つの水滸伝の登場人物を題材に描いた歌川国芳の「水滸伝百八人之人一個」になります。
水滸伝の物語の概要は、108人の豪傑が梁山泊に集結し悪い為政者を退治するといったものです。水滸伝は元々講談でしたが時代ごとに話の内容が追加され、後に施耐庵(或いは羅貫中)がそれらを纏めて本にしたとされています。
当時、大名の圧政に霹靂していた民衆の間で人気になり、国芳が描いた水滸伝の主要登場人物に刺青が入っていた事からそれに肖る、或いはそうありたいという想いから身体に和彫りを入れるようになったとされています。
江戸時代、火消しは「刺し子半纏(さしこばんてん)」と呼ばれる着物に水を染み込ませたものを着て火事の現場に向かいました。中には裏地に豪華な絵(龍など)が施された刺し子半天もありました。そして火を鎮めた後 、裏返して刺繍を見せびらかしながら、ヒーローのように颯爽と火事の現場から立ち去りました。
刺青文化が盛んになると、刺し子半纏の代わりに刺青を入れる火消しも出てきました。男らしさと粋を演出するために、上半身裸で刺青を晒して出動する火消しもいました。
また、体の部位全体を覆う刺青を「額彫り」と呼び、これは前科のある人は就職が難しく、刑罰の刺青を隠すために作られたという説があります。
また、 額彫りにはアセヌキと呼ばれる図柄や背景の間に余白の部分があり、これは前科がないことを証明するものであったとの事です。
日陰の時代
明治時代(1868-1912年)、日本は開国し、日本政府は近代化に向けて動き出しました。その際に野蛮な文化として刺青やお歯黒などの伝統文化を禁止しました。しかしそんな中、日本の刺青は国外の一部の特権階級に人気だったらしく、英国王室やロシア皇帝は来日した際、日本の伝統的な刺青を入れたという記録があり写真も残っています。ロシア人の友人に見せてもらった写真の中のニコライ2世は誇らしげにシャツの腕を捲り上げ龍の刺青を見せてポーズを決めていました。
第二次世界大戦後、GHQによって再び刺青が解禁されました。しかしその後、映画会社が任侠映画を次々と公開し、主要メディアは不定期に執拗に刺青に対する偏向報道を繰り返しました。それらは日本人に刺青に対する誤った偏見を植え付けることになりました。
先代の村松建尚(本家彫よし建尚初代)によれば 少なくとも父(村松致次:初代彫よし)の仕事場では。当時、任侠映画が公開されるまでは、刺青が入っている稼業の方々は少なかったとの事です。
2015年、医師法違反で逮捕された若い刺青師が裁判で戦いました。日本人の気質的に変化や人と違うことをすると批判される傾向があります。刺青裁判についてもよく思っていない方が少なくなく、SNSで批判している大御所もいましたのでかなり勇気のいる行動だったと思います。そして最高裁は2020年9月16日、タトゥーは医療行為に当たらないとの判決を下し、彼は見事勝訴しました。
現代日本人は伝統文化に触れる機会が減ってきており西洋的な生活習慣に益々なってきています。伝統文化の衰退は世界中のほとんどの国で言える事です。
日本伝統刺青、又は伝統工芸は芸術的観点から国外では非常に高い評価を受けています。私自身、外から改めて日本を見た際に改めて自国の伝統文化の素晴らしさを再認識しました。
あらゆる伝統文化にはその国に住む人々の精神性が宿っていると考えます。
今後、日本における刺青に対する間違った認識が解消され、多くの人が伝統文化と触れ合う機会が増え、本来私たちの先人が持っていた価値観に戻り日本人としての誇りや愛国心をより多くの人が取り戻す事を切に願っています。